1.有形文化財 1-3.彫刻
木造十一面観音立像1躯
- 指定 徳島県
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字中熊54番地(中熊観音堂)
- 指定日 昭和43年6月7日
- 所有者または管理者 (宗)多聞寺
平安時代末期の木彫仏像。像高78センチ。この像は、頭上の十一面のうちほとんどが欠損しており、本面の頭上には、一面のみが残っている。
本造り、彫眼で肉身は後補の金箔が施されているが、着衣の部分は素地である。
十一面観音の名は、本面の上に十ないし十一の面をもつことから来ている。衆生の十一の無明を断って悟りを開かせる意味をもつといわれている。
薬師如来三尊像3躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字東久保884番地(神宮寺)
- 指定日 昭和52年3月1日
- 所有者または管理者 (宗)神宮寺
神宮寺の本尊仏(高さ138センチ)。木造寄木造りで、漆箔仕上げの美しい像。脇侍に日光菩薩(同90センチ)と月光菩薩(同88センチ)を従え、室町時代の平明な作風が漂っている。
木造如意輪観音坐像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字小野566番地(見性寺)
- 指定日 昭和52年3月1日
- 所有者または管理者 見性寺保存会
台座共高さ170センチ、木造寄木造金箔塗、台座裏に「天和三戉亥大仏師-運法橋作」とあるので、天和3年(1683)の作と思われる。「兵助日記」によると、寛政12年(1800)、桂谷和尚の代に彩色した記録がある。
馬頭観音像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字蔭名517番地1(蔭観音堂)
- 指定日 昭和52年3月1日
- 所有者又は管理者 蔭西地域
牛馬の守護神として奉納されたもので、木造寄木造りの彩色で全高約89センチ。県下でも数少ない馬頭観音である。寛政7年(1795)蔭観音堂の棟礼に「仏師京都塩釜浄而作」とある。
肉身の朱色が美しく映え、鮮麗で、威厳のある姿で、草深い山里の氏堂の本尊仏としては珍しい存在である。この観音像は盗難に遭ったが、それを買った人に次々と不幸が続き、元のお堂に帰ってきた不思議な観音像である。
十二支小絵馬12点
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字坂根355番地3(奈良堂)
- 指定日 昭和52年3月1日
- 所有者または管理者 坂根地域
明和5年(1768)卯月吉日に奈良堂を再建したとき、堂の装飾と荘厳を現すために、施主の願いをこめて奉納したものである。絵馬は全部縦26~28.7センチ、横41~41.5センチ、厚さ4.1センチの欅の1枚板に動物を彫刻したもので、それぞれ墨筆で類似の裏書きがある。県下に現存する小絵馬では最古のものであり、全部保存されていることは稀である。
多聞寺の毘沙門天像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字上喜来86番地(多聞寺)
- 指定日 昭和54年11月15日
- 所有者又は管理者 (宗)多聞寺
多聞寺の本尊で、寸法高75センチ。材質は楠、右手に槍、左手に多宝塔を持っている。室町時代の作と推定されている。剛勁な作風である。
浴油堂の毘沙門天像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 東みよし町毛田2662番地2(浴油堂)
- 指定日 昭和54年11月15日
- 所有者または管理者 (宗)多聞寺
構造寄木造。寸法高107センチ。材質 楠。 像形は右手に槍、左手に多宝塔。江戸時代初期の作で剛直な作風。
浴油堂は土々呂の滝の上、東みよし町との町境に位置している。
弘法大師像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字上喜来86番地(多聞寺)
- 指定日 昭和54年11月15日
- 所有者または管理者 (宗)多聞寺
構造寄木造。寸法高60センチ。材質檜。 像形彩色、右手に五鈷、左手に念珠。
室町時代の作と推定される。
武士と笠松1点
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字坂根355番地3(奈良堂)
- 指定日 昭和63年6月21日
- 所有者または管理者 坂根地域
欅の1枚板に浮彫。長方形で縦29センチ、横41センチ、厚さ3.5センチ「明和5年4月吉祥日、井尻住篠原実三郎吉正、篠原実八吉広」の墨書。
この絵馬は、武士が正座している傍らに風流な笠松が彫刻されたもので、裏書きには「大工井尻住人篠原実三郎吉正作之施主幸兵衛明和五子年□月二十八日」とある。ちなみに明和5年は1768年である。
木造阿弥陀如来坐像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町貞光字家賀道上91番地(家賀峯堂)
- 指定日 昭和51年5月11日
- 所有者または管理者 (宗)西福寺
像高は63.8センチ。桧材の寄木造り、内刳り玉眼を入れている。右肩は肌ぬぎとして、肉身箔押しと溜塗り、着衣彩色のいわゆる半金色の像で、両手は後補である。台座は、仏師定朝(平安時代後期)の創始といわれる優美な蓮華座形式である。
木造釈迦如来坐像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町貞光字太田西85番地(万福寺)
- 指定日 昭和61年10月7日
- 所有者または管理者 (宗)万福寺
年代は、平安時代後期。像高は、113センチ。形状は、如来像、蓮華座、頭光背、寄木造り内刳、彫眼・肉身には漆箱(漆下地に金箔)、着衣は彩色されているがともに後補である。万福寺は、平安朝冷泉天皇の安和2年(969)、忌部神社別当十八坊のひとつとして創建され、また熊野十二所権現の別当を兼ね、今日まで千有余年法灯を伝えている。本釈迦如来坐像は、延久元年(1069)の寺再建と同時代の造立と伝えられており、頭・顔などの形状からも、平安時代の後期の特徴をよく伝えている。
木造薬師如来坐像1躯
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町貞光字江ノ脇204番地(薬師堂)
- 指定日 平成4年4月8日
- 所有者または管理者 江ノ脇地域
像高94センチ、寄木造り、江戸時代の作。
像形は左手に薬壺を乗せ、右手五指を表に伸ばした通行の形である。頭部は大きく切付のままの螺髪。
顔面は彫眼で彫りが深い。肉髻珠、白亳は共木で埋め込まれている。いかり肩、彫りの高い煩雑な衣文で古い作風が見られる。台座は欅材で蓮肉・蓮弁共に一木造り、本尊両脇に十二神将像が安置されている。
狐像1対
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 彫刻
- 所在地 つるぎ町半田字田井440番地2(田井稲荷神社境内)
- 指定日 平成2年3月7日
- 所有者または管理者 田井地域
鳥居をくぐると両側に一対安置されている。右側は巻物を、左側は宝玉を銜えている。なお、右側は両耳が、左側は右耳が欠損している。材質は和泉砂岩。高さ1.6メートル。
弘化2年(1845)大干ばつにて作物全滅、田の神の加護を受けるため弘化3年、京都伏見稲荷神社の分神を受け神社を創建した。
本狐像は、明治26年(1893)の寄進である。