4.登録文化財 4-1.建造物
令和2年8月新規登録 New!!
旧北室醫院診療所、病棟、主屋、土蔵、庭門及び内塀、土塀、石垣 合計7件を追加しました。
目次(国の登録文化財 合計19件)
旧北室醫院関係 | 診療所 | 病棟 | 主屋 | 土蔵 | 庭門及び内塀 |
土塀 | 石垣 |
端四国八十八箇所霊場 札所 | 別所堂 | 大泉堂 | 白村堂 | 日浦堂 | 長瀬堂 |
吉良堂 | 皆瀬堂 | 竹屋敷堂 | 引地堂 | 浦山堂 |
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旧北室醫院診療所<きゅうきたむろいいんしんりょうしょ> 1棟
吉野川南岸の敷地中央西寄に南面して立つ。木造二階建、寄棟造、桟瓦葺の洋風建築で、正面に切妻破風と車寄を付す。外壁は柱や貫を現し、小壁を漆喰塗、他を板張とする。改修も少なく医療設備等も良く残り、地域医療を西洋医学で支えた当家の歴史を物語る。
旧北室醫院病棟<きゅうきたむろいいんびょうとう> 1棟
診療所北側に渡廊下を介して建つ入院病棟。木造平屋建、東西に長い寄妻造桟瓦葺で、東西に下屋を付す。内部は北に七室の病棟、南に廊下を配し、南西角に水回りを突出する。病室は洋室で、板床に腰壁を廻らしベッドを置く。地域の医療施設の様相を今に伝える。
旧北室醫院主屋<きゅうきたむろいいんおもや> 1棟
敷地南東に南面して建つ、漢方医時代の主屋。木造二階建、入母屋造本瓦葺で、四周に下屋を廻し、正面西寄に入母屋玄関を付し、二階壁には木瓜枠の虫籠窓を穿つ。内部は表側に薬局、診療所、床付きの座敷を並べ、奥側は住居部とする。重厚かつ上質な主屋。
旧北室醫院土蔵<きゅうきたむろいいんどぞう> 1棟
診療所東側に南面して建つ、漢方医の原料等の保管蔵。土蔵造二階建、本瓦葺で、正面に桟瓦葺の深い下屋を付す。外壁は漆喰で軒裏まで塗込める、内部は板敷で、壁、天井に鉄板を張って区画し、保管棚を設ける。簡素な外見ながら、医療機能を補佐した建物。
旧北室醫院庭門及び内塀<きゅうきたむろいいんにわもんおよびうちべい> 1棟
主屋中程から南の土塀に至る一間棟門と板塀。門は腕木門で屋根は切妻造本瓦葺で、大棟端部に鯱(しゃちほこ)を載せる。板塀は銅板葺で棟に雁振瓦を葺き、布基礎はモルタル塗りで、松皮菱文を刻む。壁は大和打の堅板張で、襷桟の欄間を入れる。重厚な意匠の門と塀。
旧北室醫院土塀<きゅうきたむろいいんどべい> 1棟
敷地南辺東半から東辺を囲う土塀。南辺土塀の中程を開いて端部を北側に屈折し、主屋への導入路とする。桟瓦葺、壁は漆喰塗で、南辺は腰を洗出仕上とし、要所に木製縦格子をいれた虫籠窓風の開口を穿つ。敷地南東の表構えを重厚に演出する。
旧北室醫院石垣<きゅうきたむろいいんいしがき> 1基
北の一段低くなった吉野川側の敷地を支える石垣。北西角から北辺中程まで延び、敷地形状に合わせて雁行配置とする。吉野川流域で見られる阿波の青石(緑泥片岩)を主体に、平石や角石を積上げ、隅は算木積とする。敷地北辺の屋敷景観を支える構造物。
織本屋<おりもとや>(旧折目家住宅<きゅうおりめけじゅうたく>)主屋 1棟
一宇街道の南中町に東向きに建つ商家建築。棟札によると明和9年(1772)の建築。切妻造、平入型の2階建。本瓦葺の屋根や漆喰塗の外壁など全体に重量感がある。両側のうだつは、二層厨子、上切妻、下葺き下ろし型になっている。
明治4年(1871)に大改築されている。
東福寺本堂<とうふくじほんどう> 1棟
- 指定 国登録文化財
- 分類 有形文化財
- 種別 建造物
- 所在地 つるぎ町貞光(東福寺)
- 指定日 平成24年2月23日
- 年代 天保4年(1833年)
境内中央に東面する。桁行26.2メートル、梁間13.1メートル、寄棟造本瓦葺で、周囲に下屋を廻らし、正面に唐破風造銅板葺の玄関を構える。東面に広縁を通しその奥を八間取りとし、後列南から第二間を内陣とする。北寄りはもと庫裏。風格ある外観の真言宗本堂である。
つるぎ町の端山(はばやま)地区を中心に巡るため、端四国と呼ばれる八十八箇所霊場の札所建築。建立年代は、江戸中期から明治期まで異なり、霊場としては近世から近代に立したもの。堂の規模はおおむね方三間で、奥に仏間を設ける。側廻りは開放であったり、建具を建て込んだりと様々。部材の彫刻や向拝の有無、屋根の形状などでそれぞれに特徴が見られる。
上図:端四国八十八箇所霊場絵図(徳島県美馬郡つるぎ町半田 酒井家文書)
別所堂<べっしょどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第11番札所。宝形造の三間堂で、三方吹き放ち。中央奥に幅広の仏間を張出し、三方に縁を廻らす・天井は棹縁天井とする。現在は桟瓦葺であるが、第2次大戦前は茅葺であったと伝える。地域信仰の有り様を今に伝えている。
大泉堂<おおいずみどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第13番札所。宝形造本瓦葺の三間堂で、桁行4メートル、梁間3.9メートルの規模の三方吹放ち。中央奥に仏間を張出し、天井は棹縁天井とする。縁を設けない簡素な作りながら、本瓦をもちいるなど重厚な雰囲気を見せる。
白村堂<しらむらどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第14番札所。入母屋造茅葺(鉄板仮葺)の三間堂で、四方吹放ちの四方に縁を廻らす。軒は繁垂木とする。中央奥の柱筋より前に仏間を配し、天井は棹縁天井とする。虹梁を配して木鼻を付けるなど、比較的装飾豊かである。
日浦堂<ひうらどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第26番札所。寄棟造鉄板葺の三間堂で、背面側を三間幅の仏間とし、三方吹放ちの四方に縁を廻らし、正面中央間には向拝一間を設ける。天井は棹縁天井とする。仏間、向拝等に彫刻を施す。仏間の規模が大きく、比較的装飾豊かである。
長瀬堂<ながせどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第28番札所。宝形造桟瓦葺の三間堂で、背面側に仏間を突出させる。四方吹放ちの4方に縁を廻らし、正面中央間は縁を切りこんで木階を設ける。天井は棹縁天井とする。仏間廻りには彫刻を施すが、全体に簡素な意匠でまとめている。
吉良堂<きらどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第30番札所。寄棟造茅葺(鉄板仮葺)の三間堂で、背面側を三間幅の仏間とし、三方吹放ちの三方に縁を廻らす。正面中央には虹梁をかけ、天井は棹縁天井とする。背面中央間を円柱とし、随所に彫刻を施し木鼻を付ける。比較的大型の堂である。
皆瀬堂<かいぜどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第34番札所。宝形造桟瓦葺の三間堂で、北面中央に二間幅の仏間を設け、南・東の2面を吹放ちとして縁を設け、天井は棹縁天井とする。仏間廻りに彫刻を施すほかは全体に簡素な造りとし、地域の信仰の有り様を今に伝えている。
竹屋敷堂<たけやしきどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第35番札所。宝形造桟瓦葺の三間堂で、背面中央を一間幅の仏間とし、三方吹放ちの四方に縁を廻らす。天井は棹縁天井とする。仏間周りに組物・彫刻を施し、正面中央間に虹梁をかける他は、柱間を貫と長押で固める簡素な造りである。
引地堂<ひきちどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第36番札所。寄棟造桟瓦葺で梁間二間、桁行二間半。背面中央に一間幅の仏間を設け、四方吹放ちの三方に縁を廻らし、天井は棹縁天井とする。仏間周り以外は簡素な造りとするが、正面一間を葺下ろして向拝とする点が特徴である。
浦山堂<うらやまどう> 1棟
端四国88箇所霊場の第37番札所。宝形造桟瓦葺の三間堂で、背面寄り中央に一間幅の仏間を設け、四方吹放ちで、四方に縁を廻らし、天井は棹を疎らに配する棹縁天井とする。軒は疎垂木。仏間廻り、側柱上に組物・彫刻を施し、比較的装飾豊かである。