1.有形文化財 1-1.建造物
五輪塔1基-cleaned.jpg)
1.指定 つるぎ町
2.分類 有形文化財
3.種別 建造物
4.所在地 つるぎ町貞光(吉良堂)
5.指定日 令和6年7月10日
水輪を欠損していましたが、宝塔の基礎であった部材が水輪とされ完存となりました。
制作年代は14世紀後半を有力としつつも、13世紀に遡る可能性を残しています。
宝塔残欠1基-cleaned.jpg)
1.指定 つるぎ町
2.分類 有形文化財
3.種別 建造物
4.所在地 つるぎ町貞光(吉良堂)
5.指定日 令和6年7月10日
相輪部分を欠損し、塔身と水輪が組み合わさっていましたが、五輪塔と共に石造物残欠の中に、基礎と破砕した笠の部材があり、相輪を欠けた宝塔残欠となりました。
制作年代は15世紀と推定されます。
吉良地区にある五輪塔と宝塔残欠は、凝灰岩(香川県さぬき市寒川町産・長尾岩と呼称)の石材であり、五輪塔は保存・保管の面から
今年の2月に同地区の杉尾神社(貞光字吉良)から吉良堂(貞光字吉良)内に移動しました。
五輪塔は、各部材が完存しており、また宝塔残欠は、破損しているものの、相輪を除いて各部が残っている点で文化的価値は大きい
と考えられます。現在、五輪塔と宝塔残欠は、つるぎ町貞光字吉良にある東福寺飛地境内の吉良堂(釈迦堂)に安置されています。
大師堂1棟
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 建造物
- 所在地 つるぎ町半田字東久保884番地(神宮寺)
- 指定日 昭和52年3月1日
- 所有者または管理者 (宗)神宮寺
欅材を多用した木造、入母屋造り、本瓦葺き、白漆喰壁仕上げ。建坪70平方メートル。寛保後期から宝暦初期(1742~53)の建築であり、寺社建造物として貴重な建物である。
もともとは、総欅造りであったが、昭和59年(1984)に大改築された時に、一部他の木材が使用された。
石堂神社本殿1棟
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 建造物
- 所在地 つるぎ町半田字日浦990番地(石堂神社)
- 指定日 昭和60年4月20日
- 所有者または管理者 石堂神社氏子
石堂神社の由来は、古い棟札の保存がなく定かでないが、境内に設置されているご神灯・水器には天明5年(1785)9月と刻まれている。
間口3間(5.4メートル)、奥行4間(7.2メートル)。軒廻りは2軒垂木、垂木割は本繁垂木。正面・扉両脇に昇り竜の透かし彫、欄間に梅に鶯の透かし彫などが素晴らしい。
棟礼によれば、明治24年12月12日に落成した。
東福寺山門1棟
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 建造物
- 所在地 つるぎ町貞光字木屋341番地(東福寺)
- 指定日 昭和51年4月1日
- 所有者または管理者 (宗)東福寺
【正面】3間1戸楼門 【側面】2間 【組物】 3手先、
中間斗束、2軒繁垂木、入母屋造、本瓦葺
【間口】3間(6.6メートル) 【奥行】2間(4.86メートル)
東福寺は往古に忌部神社の東側に造立され、忌部別当寺となり東福寺と称したと伝えられている。この山門は和漢楼門形式で、明治29年(1896)に宮大工切上勇吉氏によって建立された。
楼造り(2階建ての建物の意、重屋、高殿)と呼ばれる構造の代表的な山門様式である。木鼻や虹梁などの彫刻もすっきりしており、尾垂木の配分も見事である。なお、彫師は脇町拝原の第9世三宅石舟斉である。
旧永井家庄屋屋敷3棟
- 指定 つるぎ町
- 分類 有形文化財
- 種別 建造物
- 所在地 つるぎ町貞光字西浦37番地
(うだつの町並み中ほどから西に入る) - 指定日 平成6年2月18日
- 所有者または管理者 つるぎ町
母屋の棟札から推して寛政3年(1791)の建立である。間取りや骨格は明治初期に整ったとの考察もある。西側の2層うだつの上がった藍の寝床や蔵などの付属棟。「文政6年10月」と彫り込まれた井戸桁。
永年の風雪を物語る幹周り2.3メートルの御所柿と、幹周り2.55メートルの花梨などの古木、泰山木、多羅葉などの名木や、鶴島・亀島を配した鶴亀蓬莱庭園(座視鑑賞式の枯山水)などを併せもつ近世の貴重な日本建築様式を備えている。
平成9年(1997)に、古民家再生の権威者と称される降幡廣信氏によって再生された。