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貞光町は古くから商業の町として栄えてきました。特に江戸時代には葉たばこの産地として繁栄し、阿波藩内でも10指に数えられる巨商を生み、「商売の町」と言われるほどの隆盛を見ました。
その往時の繁栄を物語るのが商家の屋根に立つ「うだつ」です。これは元来防火壁として造られたものでしたが、当時の裕福な家は競ってこの「うだつ」を上げた立派な家を造ったようです。「うだつが上がらない」という言葉は転じて「いつまでもぐずぐずして成長・発展がない」という意味で使われています。
特に貞光のうだつは二層うだつと呼ばれる全国的にも珍しいもので、段になった防火壁に立派な屋根がある重厚なもの。正面には家ごとに異なる美しい絵模様(鏝絵・こてえ)が施され、美術建築としても風格も備えています。
そのうだつの町並みのところどころに祇園小路、永井小路などの細い路地があり、ふと足を止めたくなるような情緒をかもし出しています。うだつを上げた商家は、まだまだ現役。その家にまつわる往時のさまざまな自慢話が、子孫に代々語り継がれているに違いありません。
徳島藩は祖谷山など広大な山間部の支配に苦慮していまた。貞光代官所は、そんな困難な山間部の経営に当たる重要な役割を担っていました。この代官所を中心に商家が建ち並び、藩政中期頃から藩内でも屈指の郷町として繁栄しました。
そんな町場の発展と共に貞光特有の文化も開花し、その一つが商家の屋根や卯建の見事さで、今も往事の町人たちの心意気をよく伝えています。
貞光のうだつはこの重厚な”うだつ”に加えることと、前面に寿福を祈念する絵模様が装飾されていること、さらに2段式になっていて、しかも何軒も続いているのが見所です。貞光の”うだつ”はひと味違う風格を備えています。
図解!うだつのしくみ

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卯建は、初期には防火、防風のために作られたが、時代と共に装飾化され、特にその屋根の先端は人目に付きやすいことから様々な工夫が凝らされた。
最初は鳥衾(とりぶすま)や鬼瓦をのせる程度だったが次第に破風(はふ)や懸魚(げぎょ)宝珠(ほうしゅ)家紋などが付け加えられるようになった。なお、鬼面でなくても同じところにあれば鬼瓦という。
漆喰を塗った上に鏝(こて)で風景や動植物などを描きだした絵。古来土蔵づくりや大壁づくりの装飾用として外壁にしばしば行われた。(右図:白虎の鏝絵) |
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